イラン紀行-2 ペルセポリス@


最高金額紙幣10,000Rls(約120円)。表側はホメイニス師。裏側の富士山のような山はダマーヴァンド山(5601m)です。


シーラーズ(テヘランからペルセポリスの最寄の町)に向かう飛行機の中から見る砂漠の大地。遠くに山脈の雪が見える。


左:シーラーズ空港の玄関。ペルセポリスの遺跡のレプリカが迎えてくれる。右:切符売り場とオフィス。シンプルでモダンなデザイン


[ペルセポリス全景] 24mmの広角レンズでも入りきらない広さ。屋根のかかっている部分は特にレリーフの美しい部分。

イランは紀元前からの長い歴史を持っています。そのため見所も膨大です。世界遺産登録も2004年時点で文化遺産が6つ登録されています。そのうちエスファファーン以外はすべてイスラム以前のものです。私が今回訪れたのはペルセポリスです。前回少しご紹介しましたようにここはアケネメス朝ペルシャの都でした。アケネメス朝は組織的な行政制度を行った国としても知られていてその制度は現在の行政制度の原型のひとつともいわれているようです。

紀元前6世紀後半ダレイオス1世によって建設され始め息子のクセルクセス1世によって完成された都です。およそ12万5000u、37810坪の広さです。アケネメス朝の最大支配はインダス川からエジプトまでの広さを支配しました。しかし紀元前4世紀になると内紛も絡み国力が衰えつつあるときマケドニアのアレキサンダー大王にイッソスの戦い(紀元前333年)などで破れ滅亡しました。時のアケネメス朝の王はダレイオス3世でした。アレキサンダーの東方侵攻で東西文明が融合してヘレニズム文化が生まれたと言われています。

インドに仏教を保護し、また布教を奨励したアショーカ王と呼ばれる人がいました。アショーカ王の作った仏塔にはアショーカ王柱と呼ばれる柱が立っていて、柱の上に不思議な動物が乗っています。獅子の像です。インドの国章になっていますのでご存知の方も多いと思いますが、これが私から見るとあまりインドっぽくないとかねがねずっと疑問でした。ペルシャ関係の美術史を読んでいたところペルセポリスにいたペルシャの石工たちがインドまで逃げて入ったとの記述があり謎が解けました。遺跡を見れば彼ら石工のその技術の高さがよくわかります。


[レリーフの数々]


架空の聖なる鳥。ヨーロッパに渡りフェニックスになり、日本に渡り不死鳥になった。

写真に撮ることは出来ませんでしたが、ダリウス1世が入浴するレリーフがありました。お付きの人がランプとアロマポットをもって後についていました。満月の夜のアロマの入浴を想像してしまいました。

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