|
イラン紀行-1
|
|
イランに行ってきました。 2005年3月24日から28日までの5日間です。今回は下調べのつもりで・・・・、20年以上前からイランには行きたいと思っていましたが、いつもいつも事件が起きてなかなか決心がつきませんでした。しかし今回はワールドカップイラン戦のほか、ペルセポリスとアビアネ村をオプションに組み込んだツアーに参加することにしましたのでだいぶ気楽に参加できました。私が行ったところはどこも治安は問題なくアビアネ村やアビアネ村の入り口のカシャーンの人々はとても親しくにこやかで一緒に写真をとったり、家族で花見のようなお茶をしている席に「どうぞ!」と手招きをしてくれる人々たちでした。
|
![]() |
|
[アビアネ村]
|
|
イランは正式にはIslamic Republic of Iranといいご存知のようにイスラムの国です。多くの日本の方はイスラムのそれぞれの国の区別はつきにくく1色に見えがちですが特にイラクとの違いは大きいようです。歴史的にも宗教的にもです。イランはムスリムの中でもシーア派のひとがほとんどです。シーア派はムスリムの中ではマイノリティに属します。また人種的にもペルシャ人なのでイラクなどのスンニ派のアラブ人とはだいぶ異なります。歴史的には、今回の目的地ペルセポリスはアケネメス朝ペルシャの時代=ペルシャです。ではイスラム化以前はというとイラン固有の宗教はゾロアスター教です。ゾロアスター教は世界で最初の啓示宗教といわれていて今でも少数ですが存在していますし、アビアネ村にもゾロアスター教の拝火神殿がありました。またペルセポリスを作ったダレイオス1世のお墓の前にも拝火神殿であろう(諸説あるようです)建物が建っています。写真を撮りましたので準備が出来次第お見せします。 まるで世界史の中にしか存在しなかったような名前が出てきます。ペルセポリスに火をつけて焼き払ったのはかのアレキサンダーです。イランのガイドさんによると彼は火をつける前にらくだ10万頭で財宝を持ち出したと、しかし今でもペルセポリスの周辺からは当時の貴金属が発掘されていると説明していました。らくだ10万頭とはちょっと大下座かなと思いつつペルセポリスをみましたが、その規模の大きさと各階段に施されたレリーフは、世界の各国から貢物を運ぶそれぞれの国の大使たちで埋め尽くされていてその数の多さには驚きでした。
|
![]() |
|
[アザディスタジアム]
|
|
アザディスタジアム、12万人、イランの国技といわれるほどの人気スポーツはサッカーです。 スタジアムに着く前から高速道路は渋滞、一般道路ではバスやトラックから身を乗り出してイラン国旗を振っている若者たち、スタジアムの中に入るまでのスタジアム周辺には、スタジアムの中に入れなかった5万人ほどの人たちも群れ、まさにアウェイです。ゲームは18:05のキックオフであるにも関わらず10時前にはすでに超満員、われわれが着いた14:00にはすでに応援は最高潮に達していて言葉では表現できないほどの熱気に満ちていました。 私の席は日本人サポーターの中の真ん中でした。皆さんほとんど全員青一色!私は黒のヨットパーカーだったため隣の人若い女性からいつ着替えるのですか?といわれてしまいました。次に言われたことは、この場所はサポーターの中でも過激な人たちばかりだから試合中に座っていると興奮した日本のサポーターから「立って応援しろ!」と言われ、運が悪いと殴られる!と、それが嫌だったら今のうちの席を変わったほうはよい、さらに、「あなたが座っていたら私も興奮して殴ってしまうかも知れない」と脅かされてしまいました。内心、「応援の仕方は人それぞれなのに、清水生まれのこっちはお前の生まれる前からサッカーファンだぞ!」と思いつつも席を替わらずに居ましたが、試合が始まるとなぜか立ったままで、しかも椅子の背の上にまで上って応援している自分がいました。 今回はアザディスタジアムの写真をアップします。ペルセポリスやアビアネ村の写真は一部アップです。 スタジアムには男の人しか入れません、群衆もみんな男の人です。それでも次の日町を歩くと、いたるところで女性にも指で2−1と見せられました。ツアー仲間の何人かは「くそー!今度日本に着たらお返しをしてやる!くやしー!」と騒いでいました。 日本人のサポーターの女性は皆さんスカーフをかぶっています。スタジアムにスカーフはちょっと不思議な感じでした。 どこにでも変な人はいますがテヘランの人々は熱狂的ではあっても殺気は感じませんでした。
|
![]() |
|
[ペルセポリス]
|
|
▲建築紀行 目次 ▲top page |
| (C)Sawano Architect & Associates |